「マナー」と「エチケット」そして「礼儀」の違い

私はマナーとエチケットという言葉が苦手です。この二つの言葉の波動の中には、支配・コントロールのエネルギーがあるからです。


マナーとエチケット、そして「礼儀」は違います。この記事では、この3つの違いについて書きたいと思います。


マナーとエチケット


発祥は、古くはフランスのルイ14世まで溯ります。絶対王政を布いたルイ14世は、国内の貴族たちが自分に逆らわないよう、ベルサイユ宮殿を建築してそこに貴族たちを住まわせました。


自分たちの領地から遠く引き離され、広大な宮殿に閉じ込められて自由を奪われ、一日中やることもなく過ごす貴族たちの生活は、美食、ドラッグ、ギャンブル、酒、セックスといった荒んだものになっていきます。


宮殿内では、神経質でカリスマ的なルイ14世の逆鱗に触れないよう、様々な「暗黙のルール」や「プロトコル」が創られて行きます。それがマナーとエチケットなのです。


食事の際の席順、サロンでの振舞い方、廊下でのすれ違い方、言葉の遣い方、もろもろ。身分が下の者から上の者へは話しかけてはならない、話かけるのは常に上から下の者へ。挨拶にはこの言葉を使う、など。事細かなプロトコルが設けられました。


それもこれも、ルイ14世の機嫌を損ねて自分が失脚しないための、処世術だったのです。


つまり、マナーとエチケットというものには、発祥時より強烈な「支配・コントロール」のエネルギーが含まれていたということです。


今ではどうか知りませんが、日本では「化粧はマナー」というようなことが言われていました。以前から私は「何のこと?」と思っていましたが、「化粧しない素肌を晒すのは相手に対して失礼、だから化粧をすべき」という論調だったと思います。


私のイギリス人の知人・友人は全員、アジア人女性の化粧の濃さについて「気持ち悪い」とコメントしています。


「アジア人はなぜあんなにファンデーションを使うの?肌を隠すの?顔が真っ白で気持ち悪い」。


日本人にとっては良く思われることでも、他の国の人たちからしてみたら「異様」にしか見えないということは多々あります。マナーは「処世術」や「暗黙のルール」でしかありませんから、文化によって内容が変わるということです。


私は、「マナーを守りましょう」と声高に叫ぶ人を、私は敬遠します。そこに強烈な支配・コントロールのエネルギーを感じますし、了見の狭さに辟易するからです。


この二つは、基本的に「べきべき」「ねばならない」エネルギーなのです。


礼儀は相手に対する尊重と思いやり


それに比べて、私は「礼儀」は人間関係に欠かせないものとして捉えています。


礼儀とは、相手に対する尊重と思いやりです。相手のことを「自分と同じように大切にしたい」という気持ちの表れが礼儀なのです。なので、私はこちらに対する礼儀の無い人とはお付き合いしません。


メールを送ってくる際に、ぶっきらぼうに要件を一文だけを送って来たり(知人・友人を除く)、こちらの都合を配慮することなく、自分の都合だけを押し付けてくる人とはお付き合いしたくありません。こちらに対する尊重や思いやりを感じられない人とお付き合いすると、先が思いやられるからです。そのような不要な人間関係のストレスは持たないと、もう決めているのです。


私のようにストレートに断る人を、「キツイ」「冷たい」「無礼」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、相手がこちらに対して礼を失しているのですから、こちらは自分を守るため対応をせざるを得ないのです。


マナー云々の問題ではなく、「私という人」を大切にしたいという、私の中の自然な欲求によるものです。私は、自分と相手を等しく同様に大切にして尊重し合える人たちとだけ、付き合いたいと思っているのです。


今回は、マナーとエチケット、そして「礼儀」の波動の違いについて書いてみました。


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