人の役に立ちたいと思わない

この記事に書くことは、私が最近感じている違和感です。どこまで言語化できるかわかりませんが、やってみようと思います。


私が最近感じている違和感は、「人の役に立つことの歓び」についてです。


私個人の話をすれば、私が意図せずにやってきたことや自分の経験が、「結果的に」他の人のお役に立てるのであれば、むろん嬉しいです。「お役に立てて嬉しいです」と思います。


でもだからと言って、「それが私の歓び」ではないんです。


私にとって、この二つのニュアンスは完全に違うのです。どなたか、私と同じように感じる方はいらっしゃいますか?


私は、自分の人生やアセンションのプロセスの経験をシェアしたり発信したりすることが、「結果的に」どなたかのお役に立てればいいなと思っています。


それは嘘ではありません。


ただ、「あぁ、それがあなたの歓びなんですね」と言われれば、神経を逆なでされたような不快感を覚えるんです。


「そうじゃないんだけどなぁ」と思う。


私は、「人の役に立つことが私の歓び」だからやっているのではない、ただ、自分の経験がどなたかのお役に立てば嬉しいというだけの気持ちでやっている。この二つは私の中で決して「同じ」じゃないっていうことなんです。もし同じだと思われているのなら腹立だしくすら感じる。


昔の知人の話


まだ香港に住んでいた頃、日本人女性の知人がいました。彼女は自分の子供をバギー(乳母車)に乗せて街を歩いていて、自分が通るためにショッピングアーケードのドアを開けたのだそうです。すると、たまたま通りかかった男性が「ひょいっ」と彼女が開けたドアを通り抜けていった。


彼女は「お前のために開けたんちゃうわ、このボケが!」と日本語で悪態をついたら、たまたまその男性が日本人で、くるっと振り返って「すいませーん」と謝っていったという話でした。


なぜこの話を書いたかと言うと、私が感じている忌々しさ腹立だしさは、彼女のこのときの気持ちにすごく近いと思うからなんです。私は、彼女のように自分のありのままの気持ちを自然体で表現できる人が好きなんです。


「自分が通るためにドアを開けた、自分がそのドアを通る前に、「ひょいっ」と他人が通っていった」、それで「あぁ誰かの役に立てて良かったなぁ」と私には思えません。思わない。彼女と同じように、「お前のためにやったんちゃうわ!」と言いたくなるのですよ。


自分のためにドアを開けて、自分が通って、その後に誰かが同じように通るのであれば、「あぁどうぞ、どうせ開けたものですから、それがお役に立てれば・・・」と思いますよ。でも、だからと言ってそれが「私の歓び」じゃない。もしもそんなことを言われたら虫図が走る。


それが私という人間なんです。


私の歓びは猫を助けること


私が本当に心の底から充足感を覚え、歓びで満たされるのは、猫の世話をしているときなんです。


香港に住んでいた時、香港の路上猫たちの世話をするボランティアでNPOを起ち上げたことがありました。


一銭の稼ぎにもならない仕事で重労働、しかも持ち出しの方が多くていつも自腹を切って出費していましたが、それでも私の心はいつも満ち足りていました。


猫たちは感謝の言葉も口にしないし、お金も払ってくれない、それどころかひとたび獣医に罹れば莫大な出費を強いられる。私たちは常に金策に走り廻っていました。猫たちはつれなく、うっかり触ろうとすると引っかかれるので、常に消毒液を持ち歩いていました。夏場は外を回る間に手足を蚊に刺されて大変なことになりました。


それでも猫たちのために雨の日も風の日もレインコートを被って街中を重い荷物(餌や水)を背負って歩き回ることを「ツライ」と思ったことは一度もありませんでした。それくらい私にとって猫のために働くことは、大いなる歓びそのものだったからです。


だけど、それと同じことを他の仕事に感じるかと言えば、それはないんです。私は自分が本当に歓びを感じることは何かを知っているので、「それと比べて」他のことを見てしまう。


すべての人が「自分が歓びを感じること」を仕事にできるわけではないことを、私は自分の経験から知っています。世の中には、それでは生計を立てるのが難しい種類の事があるものです。


猫を助けることを「仕事」にして、それで生計を立てることは現段階ではできません。私は「猫の飼い主」を助けたい訳ではなくて「猫を助けたい」ので、支払能力のない動物相手に、ビジネスは成り立たないと経験的に知っているからです。


その中で、自分ができる範囲で「やってもいい」と思う事を仕事にしている訳なのです。

他の人にとっては、人の役に立つことや人助けをすることが本当の心の歓びになるのかもしれません。私は彼らではないのでわからないです。そういう人たちももちろんいらっしゃると思います。


ただ私は、すべての人が「人の役に立ちたい」と思う訳ではないと思うし、他者の役に立ったり人助けをすることに「歓び」を感じる訳ではないと思っています。私のように、「役に立ちたい」「助けたい」対象が「人」ではなくて「動物」「植物」「環境」である人たちだって当然いるでしょう。


私たちは、世間一般や他の人の正解ではなく、「自分だけの正解」を見つける必要があります。そのためには、とことんまで自分の感じ方や気持ちに正直になり、その感覚を言語化していくことが必要です。


私も、この記事に書いたことを言語化できるようになるまでに、何人かの人と話をして、「自分の感じ方」を言語化して表現する訓練を積みました。ある程度それができるようになったので、この記事に書いてみました。


もしもどなたか、私と同じように感じていらっしゃる方の参考になりましたら幸いです。


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