感性・感度の違いが大きいと人間関係はシンドイ その2

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あれは、今から20年くらい前のことだったと思います。ネットである記述を読みました。正確な文面は覚えていませんが、思い出せる限り趣旨を書いてみます。


「ネット上やワイドショーなどで、「安室奈美恵さんがお母さまの葬儀で気丈に振舞っているのは立派だ」というコメントを見かける。それに関してとても大きな違和感を覚える。あれは、「気丈」というものではないだろう。テレビで安室さんが葬儀に出席されている様子を見たけれど、僕には彼女が「あまりの運命の打撃に耐えきれず、茫然自失している」ように見えた。彼女は心の痛みに必死に耐えようとしているだけではないのか」


当時私は4年半に渡るアメリカ生活から帰って来たばかりで、安室さんや彼女のお母さまの件に関してはまったく知識がありませんでした。でも、この方がこの記述の中で言いたいことは、すごくわかる気がしたのです。


人が運命の打撃を受けた時、あまりの痛みにショックを受けて、茫然自失することがあります。自分でも、どうやって立っていたらいいのかわからないような状態。でも必死に立っている。その様子を見た人が、「彼女は気丈に振舞っている、立派だ」と受け取るのなら、「それは違うだろう」と思うのです。


物事の表面上しか見ることができない、言葉の額面通りにしか受け取ることができないと、とかく理解が表面的なものになります。でも、人間は表面的な生き物ではありません。すごく多次元で多面的な存在なのです。言わないこと、言えないこと、表現できないこと、表現しきれないもの、そういうものは沢山ある。それが当たり前だと思うのです。


関連記事の中でも書きましたが、これは「言葉にして言わなくても察して欲しい」という問題ではないのです。そうではない。


上に書いた男性が綴っていらっしゃるように、「僕には彼女が「あまりの運命の打撃に耐えきれず、茫然自失している」ように見えた、それは表面上見えるような「気丈」とか「立派」というものではないと思う」という、感性の問題なのだと思います。


この感性の違いが理解できない人は、「えっどうして?私たちは思ったことを言っているだけなのに?」と思うと思います。こちらが感じている違和感や嫌さ加減はわからない。こうした感性の違いは如何ともしがたいもので、感性が違う者同士は恐らくわかり合えない


今までのエネルギーの中で、少しくらい合わない同士でも、まだ誤魔化し合いながら一緒にいることができたと思います。でも今のエネルギーの影響下ではすべての人が「自分」の純度を高めて来ていますから、必然的に双方の距離は離れていくと思います。


これからますます波長が合う人としか、一緒にいられないようになっていくと思います。


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