観念の世界に生きるということ

現代日本には、不思議な「観念の文化」があると感じます。


私が生まれた1970年代は、


  • どんな事情があるにせよ、片親の子は不憫

  • 血のつながった親子が本物、血のつながりのない親を持つ子は可哀そう

  • 一生独身なのは問題がある人

  • 離婚する人たちにはそれなりの問題がある

  • 家族とは素晴らしいもの

  • 家族は何よりも大切にしなくてはならない

  • 親子兄弟の縁は切れない


と言ったよくわからない「観念」がまかり通っていた時代でした。


ご存じの方も多いと思いますが、日本では古代より、普通に養子縁組が行われてきました。昔は今と違い「お家制度」があったので、嫡男がいない家は親戚の子を迎え入れたりして、家を継がせてきたのです。私の祖母の実家も嫡男がいなかったため、親戚の男子を養子にして家名を引き継いできました。


それでなくとも、血のつながらない親子などはざらにいましたし、様々な事由で「片親」だった家庭の数は、現代とそう変わらなかったのではないかと推測します。


なので、「昭和」に信じられていたこうした観念は、比較的新しい時代に生まれたものだと思うわけです。


一体それがどうして「絶対正しい価値観」として打ち立てられたのかはわかりません。何が言いたいかというと、これらはつい最近生まれた単なる「観念」であって、真実ではあり得ないということです。


私は若い頃より比較的認知がしっかりしたタイプの人間で、いろいろなことを「筋道と理を通して理解したい」と思う人です。


なので、「観念の世界」に生きる人たちが、「世の中とはそういうものだ」とか、「仕事とはそういうものだ」とか、「親だから」とかいう言葉でお茶を濁そうとすることに、とてつもない気持ち悪さを感じてきました。


「そういう、って、どういうことですか?」と聞き返して嫌な顔をされたこともあります。でも、無意識のヴェールを打破するために、この質問はとても重要なのです。


この質問ができる人は、物事の本質を見抜いています。親や教師や世間からお仕着せられたことを盲目的に信じるのではなく、自分の頭でちゃんと考えられる人。


「血のつながらない親に育てられる子供は可哀そう」と仰った方がいらっしゃいました。「なぜ可哀そうなんですか?」とお聞きしましたが、その方は、絶句したまま答えられなくなってしまいました。自分の頭で考えたことではなかったからです。


「血のつながっている親に育てられた方が、子供は幸せ」という観念の根拠は、一体どこにあるのだろう?血のつながった親しか、自分の子供を幸せにできないのだろうか?


逆に、血がつながっている親に育てられた子供は皆嬉しいのか?幸せ者なのか?それを判断する基準はいったい何?


これらの質問に対し、しっかりとした返答ができる人が一体どれくらいいるのでしょうか?どれくらい真剣にこの質問と向き合ったことがあるのでしょうか?


「6歳児にわかるように説明できなければ、何かを理解しているとは言えない」と言ったのは、かの天才アインシュタインでした。


「観念の世界」に生きる人たちは、一様に思考停止状態にあります。親や教師や世間から引き継いだものを、「そういうものだ」と納得して自分も信じることで、処世をはかってきたのです。


今の時代、こうした欺瞞や観念は、真実の光に晒されてもはや通用しないことが露呈してきています。観念の世界に生きるのをやめ、現実を生きる時代なのです。


世代を超えて引き継いできた「そういうもの」という観念を手放し、地に足のついた現実を生きるときです。


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