社会に適応する必要はない

“It is no measure of health to be well adjusted to a profoundly sick society.

社会に適応できることが 健全であるとは限らない  なぜなら 社会自体が深刻に病んでいるから”


ジッドゥ・クリシュナムルティ


今から振り返れば、世の中はおかしなことだらけだと思います。そういう世の中を、私たちは「システム」と呼んでいます。


日本で働いていたときも、海外の日系企業で働いていたときも、「企業」という場所の「おかしさ」には、私はついぞついて行けた試しがありませんでした。


労働者を洗脳して企業都合で搾取することを正当化し、「それはおかしいのではないか」と疑問を呈する従業員は「危険分子」とみなされて、追放される。そんな病んだ集団に「馴染めない」のは、自分の感覚が「健全」だからだと、今ならわかります。


以前私が勤めていた職場で、私の仕事は年に4回繁忙期を迎えました。つまり、3か月に一度は繁忙期に見舞われていたという事ですが、その時期には、仕事が終わるのはいつも午前2時付近、電車もバスもないのでタクシーに乗って家まで帰り、数時間仮眠を取ったあとに午前8時にはまた職場へ戻るという生活をしていました。


それでも残業代は出ませんでしたし、タクシー代や食事代も出ませんでした。すべて自腹で、自分の給与の中から捻出していました。仕事関係の電話がプライベートの電話にかかってきてエアタイムは消費されても、職場から電話代も電話も支給されませんでした。


労働意欲は減退し、モチベーションは湧かず、そのように訴える私は「未だに学生気分の抜けきらない子供っぽい人」と呼ばれ、「自分でモチベーションをあげられない仕事が出来ない人」と言われました。私は、もともと素の自分を隠したり偽ったりすることが出来ない人ですが、「職場では、演じろ」と言われ、退職を決意しました。すると、「その程度の事で仕事を辞める訳の分からない人」と陰口を叩かれました。


ここまで書けば、この職場がどれほど病んでいるか今の私にはよくわかるのですが、当時はそれが分からずに「世間に馴染めない自分に問題があるのだ」と思い込んでいたのでした。


病んだ場所に合わせられる人は、そもそも健全ではありません。狡猾で、自分を偽って演じたり、要領よく振舞って人を出し抜いたり、そういうことがある意味平気で出来る人たちです。そんな中にあって「馴染めない」と身体や精神を壊して辞めて行くのは、もともと健全な人たちです。


私にとって、「仕事」とは第一義的には「自分のため」にするものです。生活費を稼ぐため、やりたいことをするため、いずれにしてもまず自分ありきです。


ところが、自分の幸せや精神衛生や健全な生活を確保できないままに、「会社のために尽くせ」と言われることは、健全な精神の持ち主には耐えがたいことです。自分の健康や幸せを犠牲にしてまで尽くさなければならない仕事など、この世にはありません。たとえそれが、自分の天職や使命であってもです。


今の私は、そのことをよく理解して承知しているので、以前のように「システム」に馴染めない自分を責めたり、否定したりすることは無くなりました。意識の覚醒が進み、何が真実で何が幻想なのか区別がつくようになってくると、必然的に不健全なエネルギーの中にはいられなくなります。


メインメッセージ


病んだ社会に適応する必要はありません。そのような「システム」から脱却して、生きて行くことを考えなくてはなりません。これからは、自分に合った仕事や働き方を、自分でクリエイトしていく時代です。システムに合わせて自分が病んでいくのではなく、病んだ社会に適応しようとすることに、No.を言わなくてはなりません。私たちは、そのためのサポートを行っています。


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